漠然とした怖さ

超超超超久しぶりの更新をしようとしている。ダラダラと大学生活を過ごす様子を綴った日記を1ヶ月ちょっと書いていた生活から早2年、僕もなんやかんやで大学を卒業し就職することができた。

 

大学の4年間はめちゃくちゃ楽しかったとここ1週間くらい実感している。学科やサークル、バイト先の人たちなどと連日最後の飲み会を開いたり卒業を祝ってもらったりした。まさか卒業式で花束をもらう人生だとは思っていなかったし、家を退去した夜に飲み会をもって送り出してもらえる人生だと思っていなかった。本当に周りの人に恵まれた時間だったとつくづく思う。

 

そして今は配属先である大阪へ向かう新幹線に乗っている。これを書いているのは米原を過ぎたあたりだ。車内では音楽をイヤホン爆音で聞きながら100ページほどのエッセイを読みながら過ごした。名古屋に着いたあたりで読み終え、最後の1本にしようと決めた煙草を吸った後、スマホの充電が切れそうになったのでイヤホンを外した。その瞬間、急に不安な気持ちが押し寄せてきた。

 

これまで人との出会いに恵まれてきたことに改めて気付かされたから、知っている人がほとんどいない土地に行くのが急に怖くなったんだと思う。この感情を僕は確かに何度か味わったことがある。小学校の時は2回の転校を経験し、実家のド田舎から離れて札幌の高校に進学し、大学では上京した。その度に新しい土地に出向く怖さを味わってきたのだが、今回ばかりは就職するわけだし、自分から望んで全国転勤がある職種を選んだのでまあ大丈夫だろうと思っていた。

 

会社は割と社風を重視して選んだのできっと素敵な人との出会いに恵まれると思うし、マッチングアプリを使って友達、恋人作りもやろうと思うのできっと毎日楽しくも刺激のある生活ができるはずだ。

 

でも、怖い。緊張というか、怖い。何が怖いとかではなく、漠然とした怖さが僕を襲ってくる。新しい場所で新しい人たちとコミュニティを築くことに凄く心労してしまう体質ゆえでもあるし、今までの適当に過ごしてきた日常を終わらせなければいけないからでもあると思う。

 

怖い。怖いけどもう大阪に着いてしまう。今までの日常が終わって新生活が幕を開けてしまう。ついこの間まで胸を躍らせて待っていたはずなのに。変化って、こんなにストレスだったんだ。

 

僕の新生活が上手くいきますように、祈っています

9/14 Alco&Peace

「酒」は我々の生活に必要不可欠だし、「平和」ないし「Peace」ないし「LARK」は我々の生活に必要不可欠だ。このブログないし「blog」もアルコ&ピースのラジオを聴きながら書いている。アルコ&ピースないしラジオも我々の生活に必要不可欠だ。

 

今日も何も起こらない1日を過ごした。よく覚えていないがどこか怖かったことだけ覚えている夢をみながら12時少し前に目を覚まし、ラジオを聴きながらプロスピと乃木坂のゲーム(以後、乃木坂的フラクタル)をし、明日我が家に迎え入れる先輩を迎え入れるべく部屋の片付けに尽力しつつ昨日の深夜のバラエティをTFで観て一日を終えた。あと、真面目なオンライン会議もした。基本無口で過ごすがたまにボソッと言ったことが採用され、これでいいのかと思いつつも嬉しくありつつ。

 

そして今。酒を飲みつつ酒飲み女YouTuberの動画を観て今、煙草(以後、LARK)を挟みつつアルコ&ピースのラジオに至る。アルコ&ピースは素晴らしい。毎週火曜の夜12時に我々の居場所を与えてくれるし、毎週金曜の夜9時に我々(と書いてオタクと読む)の居場所を与えてくれる。コンビ名は「酒井」の「酒」と「平子」→「平和」を取って「アルコ&ピース」だ。

 

アルコとピースは我々の生活に必要不可欠なもの。そしてもうひとつ、ラジオという我々に必要不可欠なものを与えてくれる。ゼロから話を広げて拡張世界を作り上げる彼ら。へんてこアイドルの話を興味深く掘り下げる彼ら。知らないアーティストの面白い部分を確実に発掘する彼ら。板の上で拡張世界の拡張世界を繰り広げる彼ら。全てを肯定し、「おもしろ」に変えてくれる彼ら。好きだ。負のエネルギーを負のエネルギーのまま正のエネルギーに変えてくれる。大好きだ。俺のことも、俺以外の救いようもない人々のことも全部肯定してくれる。笑いという魔法を通じて。

 

 

なんか違う、いや確実に違う

自分の無力さを実感することが多い。中学の時に野球部でレギュラーになれず最後の全国大会を掛けた大事な試合で負けた時、自分は試合にすら出ず何をしているんだと感じたし、生徒会で同じことで先生に何度も何度も怒られた時にも感じたし、高2の数学のテストで36点を取った時にも感じたし、まあこんな感じで挙げれば枚挙に暇がない。

 

大学生になって、より一層無力さを感じることが多くなった。初めて行った新歓で周りの人と上手く話せなかったことに始まり、グループワークで何も提案できなかったり、ろくに勉強もしないで臨んだテストで固まりきってしまったり、あらゆる場面で自分の無力さを実感し続けてきた。

 

中でも一番無力さを実感してきたのが、サークルでの活動だ。コミュ障を盛大に発揮して色んな人との会話を途切れさせ続けてきたし、意見出しなどをする時もろくな意見など出せず、これでもかというほど自分の無力さを見せつけてきた。それでも周りの人たちはいつも僕に優しくしてくれて、サークル活動は自分の中では結局楽しい日々になった。

 

もちろんそのうち自分が主体的に色々しないといけない時が来るわけで、不安に思いつつも、先輩たちに相談すると「いずれ自然に色々できるようになるよ」と言われてきたのでまあそんなものだろう、経験を積めば自分も変わっていくだろうと思っていた。

 

そして、その時がきた。サークルによって呼び方は違うと思うが、僕たちのところでは「幹部代」と呼ばれている。そして何の間違いか、その中の1つの部署のリーダーに僕が就任した。さあ、今こそ自分が今まで積んできた経験を活かし、メンバーの意見もたくさん盛り込みつつ新しいことに挑戦し、プライベートでも後輩と仲良くしまくり、先輩方が築いたいい流れに乗って活動を活性化させるぞ!

 

だが現実、僕が無力なことに何も変わりはなかった。コミュ障なことに変わりはないので進行役をする時はいつもぎこちなくなるし、私的な領域まで共有できるほど後輩と仲良くできてないし、意見出しもいつまで経っても他人任せだし、何かするにしても計画の甘さが目立ちすぎる。結局、僕は無力なことに変わりはなかった。圧倒的成長を期待していた僕の期待は大外れで終わろうとしている。

 

気づけば僕も20歳になったわけだが、僕の現状を15、6歳の頃の僕が知ったら腰を抜かすことだろう。得意だった英語はコミュ障のせいで台無しにし、もちろん新しい言語など習得できるはずもなく、深夜遅くに流れるラジオを生きがいにする、弱いくせに酒や煙草に溺れる一歩手前で藁を掴むような生活を送っているらしい。彼女もできたはできたが、散々な結末になった。これを知った僕は受験勉強などする気も起きず、より無気力な高校生活を送るに違いない。あと、あの女はやめとけ。

 

将来についても、僕は海外を飛び回り世界を股にかけて大活躍する商社マン的なものを想像していたが、どうやらそれも無理そうだ。僕のコミュ力ではやっていけるはずがないし、2週間以上日本を離れることにたぶん耐えることができない。今は適当な市役所で働ければそれでいいと思っている。

 

そういうわけで、今の僕は過去の自分の期待を裏切りまくり、理想からはかなりかけ離れた人間になってしまった。これはひとえに僕の無力さのせいだし、いつまでたっても無力さを克服することはできなかった。結局人間、変わることなんてできないし圧倒的成長を達成することなどまあできない。

 

とりあえず、昔の僕に伝えたいのはお前は大した人間ではない、というか明らかに平均値未満のにんげんであるということだろうか。どうせ自分は世界を変えることは出来ないし、真面目に勉強しても特にいいことはない。当時は勉強さえしていれば褒められたし、田舎育ちだったのでかなり持て囃されて過ごしてきたが、頼むから身の丈をわきまえてほしい。お前は本質的にコミュ障だし、頭も硬い。大学選びから将来の夢から何から、身の丈をわきまえたものにしてほしい。頼むから。そうすれば少しは、絶望の淵を埋め立てることができるかもしれないので。

主体

僕は、色々と主体性に欠ける人間だ。基本的に人を誘ったりすることはないし、自分から話題を広げたりすることが大の苦手だ。

 

ただ、人に誘ってもらえたらここぞとばかりのフッ軽を見せていくら遅い時間であろうと喜んで向かうし、人と話すことは普通に好きだし、バイトで長時間働いた後に「ごめん、もう少し残ってくれない?」と言われたら疲れた体を動かすことをいとわない。

 

今の時代(いやいつでもか)、自分から行動することはとても大切なことだし、少なからず人を巻き込んで何かすることが必要な場面もある。そういう場面では僕はすごくたどたどしくなる。急に声が小さくなるし、どもりがちになる。口が思うように動かなくなる。

 

20年生きてきたなかで、人間はそう簡単に変わることができないということを学び、自分の主体性に欠ける部分と上手く付き合いながら生きていかないといけないことはもうわかっているので諦めはついているのだが、なぜ自分が主体性に欠ける人間なのかをずっと考えてきた。そして、何となく答えが出た。

 

 

主な原因は2つ。まず1つ目は転校だ。僕の親は転勤族で、小学生という多感な時期に2回転校をしてきた。

 

小学生1、2年生の時の僕は割と主体的な人間だった。ベラベラ喋るタイプの人間だったし、どちらかといえばクラスの中でも人気者なタイプだったと思う。人生最初にして最高のモテ期もこの時期だった。

 

そんな中、1度目の転校を経験した。そして転校して1年目の僕は主体性を存分に発揮した。1年目の4月に学級委員長に立候補し(実際なったはず)、学芸会の劇では主役に立候補した。だが、どうやらこの時の僕はどこかズレていたようで、僕の話術(笑)に惹き付けられる人は誰もいなかったし、空気の読めないタイプだった僕はどこか浮いていて、クラスの雰囲気に上手く馴染めなかった。たぶん一歩間違えたらいじめられていた(笑)。

 

その時僕は初めて「引く」ことを学んだ。少し引いたら僕はなんとか上手くやっていくことができた。何やかんやそこでの3年間はとても楽しかったし、日々はいい思い出として僕の中に残っている。転校する時、僕もクラスメイトも大号泣だった。

 

2度目の転校先では僕は同じ過ちを繰り返すことなく、最初からほどよく引き、空気を読みながら普通に馴染んでいくことができた。

 

そんな中、たまたま読んだZ会の教材で自分の経験が上手く言語化された。それが「共通感覚」という言葉だ。1回目の転校先では僕はそこでの共通感覚に馴染むことに苦戦したが2回目はまずそこでの共通感覚を見つけることに専念し、馴染んでいくことができるようになったのだとわかった。子どもながらにとても気持ち良かった。

 

だが、同時に僕の主体性は失われた。気付けば人を誘って遊ぶことはなくなっていたし、実際自分の家に人を招くことはほとんどなかった。自分しか観ていないであろうテレビ番組の話をすることもなくなったし、自分の中の目立ちたがりを抑えて児童会の役員に立候補することをグッとこらえたし、集合写真で真ん中に写ることもなくなった。

 

そしてこれが自分の中で常態化していき、自分の中の主体性が徐々に削がれていったのだと思う。

 

2つ目の原因が、僕の趣味嗜好だ。僕の趣味は音楽やお笑いの鑑賞にスポーツ観戦、最近でいえばアイドル鑑賞やラジオを聴くことだ。そしてゲームやスポーツを「する」ことも、物を「作る」ことも絵を「描く」ことも、全部苦手だったし好きではなかった。

 

僕の好きなことは他人がしていることを見たり聞いたりすることで、そこに主体性はない。主体的に何かすることをそもそも「楽しい」と感じることが少ない人間なのだから、主体性のある人間になるはずがない。

 

 

というわけだ。なんかまとまりやオチがない文になってしまったが、こういうわけで僕は主体性に欠ける人間になったのだ。こういう自分であることで楽しめることや得をしていることももちろんあるし、決して全てが嫌いなわけではないが、なんとなく気持ち悪くなる時もある。

 

もう少し話を広げてみたいところだが、書くのがめんどくさくなってきたのでここら辺にしておく。まあせいぜい頑張って生きますわ。

 

成人

懺悔。しばらくブログをサボっておりました。呆れるほどの怠惰ゆえ、一度書くのを中断してしまうとしばらく書かなくなってしまいました。意外と僕の周りの皆さんも読んでくれていたらしく、「楽しみにしている」など言っていただけたのですが書こう書こうと思っているうちにこんな時期になってしまいました。

 

ここからはサボり期間を充電期間とポジティブに捉え直し、切り替えていこうと思います。

 

充電期間中にあった最大の出来事、それは僕の成人だ。未成年飲酒と喫煙の常習犯だった僕はついに法を犯す後ろめたさから解放され、小さい頃から普通にスポーツとして好きだった競馬にお金を賭けることもできるようになった。「10代が長いのはいい事じゃん」と言われることもあれど、早生まれという酒飲みにとっては超致命的な足枷を付けて生まれてしまった僕にとっては本当に待ちに待った成人だった。

 

成人してから飲む酒は美味い。本当は毎日、地球の津々浦々のお酒を取り寄せて成人ライフを満喫したいところなのだが、貧乏大学生の僕にはそんなことはできない。たまたまポストに入っていたカクヤスのチラシを見て、4Lの甲類焼酎とレモンシロップ700ml、そして炭酸水1箱を買ってレモンサワーを家で1人で作って嗜んでいる。レモンシロップが尽きてからはドラッグストアでりんご酢を買い、りんご酢サワーといういかにも健康志向なお酒を飲んでいる。普通に美味しい。競馬もメインレースだけ買い、程よく楽しんでいる。

 

こうして僕は待ちに待った成人ライフを謳歌しまくっているのだが、「成人」という事実は意外と僕の背中に重くはないにしろ、のしかかり始めているようだ。

 

具体的に言うと、「成人してもこんなことしている俺ダサくね?」と思うことがかなり多くなった。

 

高校から親元を離れて暮らしている僕は、親との距離感が15歳で止まっている。15歳というと思春期の真っ盛り、親に干渉されることを徹底的に嫌がる時期だ。当時の僕は離れて暮らす親と連絡を取ることがかっこ悪いことだと考えており、(お金が欲しい以外の話は)親と連絡をほぼ取らなくなっていた。高校3年間、気付けばそれが当たり前になっていて、今になっても親と連絡を取ることが何となく恥ずかしい。特に報告すべき用がない時は基本的に親と連絡は取らない。

 

だが、世間一般の20歳はどうやら親との距離感がもっと近いらしい。特に用がなくても親と電話したり、実家暮らしの人は毎日楽しく親と暮らしているらしい。にわかに信じ難い。最近まで僕は、「でも本当に話すことないから連絡とってないだけだし...」と思っていた。

 

だが成人してから、認識が大きく変わった。「20歳になっても親と連絡を撮るの恥ずかしがってる俺、めちゃくちゃダサくね...?」と。他にも色々ある。「20歳になっても部屋の片付けを面倒くさがってるのめちゃくちゃダサくね...?」「20歳になっても貯金できないで自転車操業してるのめちゃくちゃダサくね...?」「20歳になっても中学時代のジャージを部屋着にしてるのめちゃくちゃダサくね...?」あ、これはいいや。物持ちが良いのは僕の数少ない自分の好きなところの1つだ。

 

とにかく、20歳になってからこのように感じることが多くなった。これまで僕は成人することで様々な不自由から解放されるものだと思い込んでいたが、どうやらそういうわけではなさそうだ。社会的な責任、とまではいかないものの、大人としての最低限の見栄えは整えておかないといけないものだそうだ。

 

残念なことに、これから人生を逆戻りしていくこともできないので、僕の人生は不自由さを増していくばかりになることだろう。別に10代の時間を無駄にした訳ではないが、10代は無敵というのはたぶん本当なんだろうなと思う。やだなぁ。歳とりたくねぇ。

 

 

きな粉、風で飛ぶ

怠惰な僕はどうやら日記は続いても1ヶ月までだったらしい。始める前からわかっていたことだ。だが、僕ははてなブログを捨てきれない。それは連載への憧れを捨てきれないから。最近は芸人さんのエッセイを読むのにハマっていて、Aマッソ加納さんのエッセイを読むなどして過ごしていた。芸人さんのエッセイはたいてい、ウェブメディアや雑誌での連載をまとめたものだ。そう、僕は連載が好きなのだ。というわけで、これから毎週水曜の深夜に乃木坂46オールナイトニッポンを聴きながらはてなブログに連載を書いていこうと思う。勘のいい読者の皆さんは気付いただろうが、どうせこの連載も続きやしない。たぶん4月くらいに更新が滞る。もしかしたらもっと続くかもしれない、という期待に胸を膨らませておいてほしい。

 

ひとつ言えるのは、「コミュ障なのに自己顕示欲が高い」という僕の習性からして、不特定少数に発信することのできるこの連載は僕にとって心に安らぎを与えてくれる気がするということだ。

 

 

就職について、唐突に話し始める。2年後にはもう働き始めるお年頃になってくるので、さすがに考えざるを得なくなった。

 

かねてから、僕は何かしらクリエイティブな仕事をしたいと思っていた。テレビ局をはじめ各種メディアや広告代理店など。僕は文化が好きだし、文化を作る側にそろそろ回ってみたいと考えていた。

 

だが、どうやら激務らしい。「残業」どころでは済まないレベルの残業(会社に泊まるなど)をしないといけないらしいし、広告代理店に至っては飲みなども激しく、「吐くまで飲むから博報堂!」といった僕の嫌いなものを凝縮させたようなコール(ゴリゴリの体育会系による)もあると風の噂で聞いた。僕は怠惰なので会社に缶詰め状態など勘弁だし、お酒はグビグビというよりしゅっぽり派だ。

 

あと、残念ながら僕にはクリエイティブな才能はない。小さな頃から図画工作や音楽が大の苦手だったし、感性を育む上で大切なはずの小中学生の時期に芸術を軽んじていた気がする。センスもないし努力もしてこなった人間が通用するほどクリエイティブは甘くないはずだ。

 

とはいえ、僕はクリエイティブが好きだ。文化が好きだ。坂道アイドル、邦ロック、お笑い、プロ野球に関しては「マニア」レベルのかなり深い知識を持ち合わせている自信があるし、読書も映画も、そして麻雀に至るまで、二次元以外であればかなり幅広い文化に精通している。だから、これからも僕の人生は文化と共にある。

 

才能のない人間が文化と共にある最善の方法は「ファンである」ことだ。自分の才能のなさに打ちひしがれることもなく、程よく投資をすることで才能のある人を支えることができる。

 

僕は「善いファン」でありたいと思う。好きな人のSNSには「いいね」だけを押し、彼らのクリエイティブを楽しむためにお金を払って現場に足を運び、終わったらハッシュタグを付けてひたすら褒めちぎるツイートをする。「ファンの皆さんのおかげで頑張れています」の「ファンの皆さん」の一員で常にありたい。それで満足だ。

 

そのために必要なのは余暇と程よい収入だ。余暇、つまり平日の昼間以外の時間に仕事がなく、安定してそこそこ収入が得られる仕事といえば一つしかない。そう、公務員だ。

 

もちろん、公務員が楽な仕事だとは思っていない。大変なことだってたくさんあるはずだし、想像通りにいくものでもないだろう。とはいえ、働き方改革を推進していく立場なので定時に上がりやすいはずだし、収入は保障されている。それに、僕は今ボランティア団体に所属しているのだが、ボランティアにそれなりのやり甲斐を感じているし、お金のために働くよりも人のために働く方が性にあっている。In addition,大学生にもなって公務員になるためにコツコツ勉強を重ねるような人間に「吐くまで飲むから博報堂!」みたいなことを言う人間はいないはずだ。

 

唯一気がかりなのは親のこと。田舎に生まれた僕を手塩にかけて育て、決して裕福ではないにも関わらず高校から寮生活をさせてくれており、今も東京の大学に通わせてもらっている。息子には当然、親孝行の一環としてがっぽり稼いで欲しいはずだ。何より、申し訳ない。

 

この間、「就活どうするの?」と親からLINEが来た。今の怠惰な自分をあまり知られたくないので親に私生活を話すときはたいてい話を特盛りにして話しているのだが、就職となるとそうはいかない。さすがにバレる。

 

ということで、やむを得ず公務員になりたいと思っていることを話した。つい1年前まで「商社に入って世界中を飛び回りたい」とか言っていたやつが急に公務員がいいと言い出したらどう思うのだろうか、かなり怖かった。

 

意外なことに、ちゃんと受け入れてくれた。というか、めちゃくちゃ背中を押してくれた。これは想定外だ。こんな親不孝な息子、僕が親だったらきっとブチ切れている。小さい頃から僕の親は厳しい人だと思っていたが、意外とそういうわけでもないようだ。

 

ありがたい話なので、20歳の誕生日プレゼントは公務員試験のテキストにしようと思う。意外とお金かかるし。

ここにきて 2/6

3日間更新していなかった(原因は夜のお酒の飲みすぎ)ということだが、この3日間で色々あって、というわけでもないがなんだか人生が方向性を見失いそうになっている。

 

全てに共通しているのは、相変わらず僕はいい人に囲まれているなぁということ。どうやら僕はかなり人との出会いに恵まれているタイプの人間のようだしおかげでかなりいい思いをしてきた。僕はそういうタイプの人間なので、もう運がいいとかじゃなくて僕の周りの世界がそういうふうになっていくのが運命なんだと思う。僕は前世で何を成し遂げたんだろう。ありがとう神さま仏さま。

 

一昨日は楽しかった。僕はなにか楽しいことがあったとき、「楽しい」以上に何か思うわけではない。それは決してネガティブなことではなくて、楽しい時は何がどう楽しいとかの考えが付け入る隙がなくて、ただただ「楽しい」という感情が僕を支配しているだけなのだ。だから、楽しい日は何を書けばいいか逆に困る。

 

対して、ネガティブなこと、というか楽しくないことを考えている時はポンポンと考えが浮かんでくる。自分は○○な人間だからこういう良くない結果になってしまって、対してあの人は○○な人だから上手くいっているんだろうなぁ。とか、「地頭が良くないのに無駄に高学歴なやつ」にありがちの浅っい分析をし始めるのが恒例になってきている。こういうことは文字数を稼ぐのにうってつけだ。楽しいことは自分の中に閉じ込めておきたいけどネガティブなことはどんどんアウトプットしていきたい。

 

昨日の昼間は映画を2本観て、夜からはサークルの会議に参加してきた。僕は今それなりの立場にあって、場を回したりしないといけないような人間なのだが、もちろん超絶不器用な僕にそんなことできるわけない。いつもガチガチの会議回しを披露し、後輩にはつまらないやつだと思われているはずだ。後輩に仕事を振ったりすることもちょくちょく増えてきたのだが、後輩はものの取っ掛りが早いし一つ一つの仕事を丁寧にこなしていき、しっかり結果を残す。正直、今すぐにでもファシリテーター権を全て後輩に差し上げて好きなようにしていただきたい気持ちなんだけれどもさすがにそんなことはできないのでどうしいうかと頭を悩ませている。会議の後にトップのおじさんとの話に付き合わないといけなかったので同期数名とともにオンラインで話したのだが、不器用な僕は基本聞き役に徹する、というか何も話せない。頑張らないと、という気持ちにはもちろんなったし頑張らないといけないのは自分が一番わかっている。でも頑張り方がわからない、というか求められる結果を出せるわけがない。いつからかわからないが、一部の超絶親しい人を除き、自分から話しかけたりするのがかなり苦手なタイプの人間なので諦めかけてはいるのだがもうどうすればいいのだろうか。社交性、とはまた別の、普通の人には備わっているはずの何かが僕には備わっていない。というかたぶん小4くらいで捨て去られてしまった。別にいじめられたり特別な何かがあったわけではないが、周りにある共通感覚が自分にはないことに気付き、それで徐々に話しかけることへの怖さが形成されていったのだと思う。うわぁ、絶対日本語が拙い。

 

今日も昼間はずっと映像を観ていて、夜はバイトに向かった。バ先の先輩には本当に良くしてもらっているが、僕の出来が悪すぎてまたやらかしかけた。幸い先輩に相談しないとどうにもならない案件だったし先輩も適切に対応してくれたので大事にはならなかったのだが、一歩間違えれば一大事だった。

 

僕の人生の唯一のモットーは「人に迷惑をかけない」なのだが、最近はどうも迷惑を掛けないようにしすぎて迷惑を掛けてしまっているように思う。どうやら、人に迷惑を掛けないで生きるなんてことはできないらしい。ふざけんなよ。俺の今までのモットーを返せ。先に言えよ。