なんか違う、いや確実に違う

自分の無力さを実感することが多い。中学の時に野球部でレギュラーになれず最後の全国大会を掛けた大事な試合で負けた時、自分は試合にすら出ず何をしているんだと感じたし、生徒会で同じことで先生に何度も何度も怒られた時にも感じたし、高2の数学のテストで36点を取った時にも感じたし、まあこんな感じで挙げれば枚挙に暇がない。

 

大学生になって、より一層無力さを感じることが多くなった。初めて行った新歓で周りの人と上手く話せなかったことに始まり、グループワークで何も提案できなかったり、ろくに勉強もしないで臨んだテストで固まりきってしまったり、あらゆる場面で自分の無力さを実感し続けてきた。

 

中でも一番無力さを実感してきたのが、サークルでの活動だ。コミュ障を盛大に発揮して色んな人との会話を途切れさせ続けてきたし、意見出しなどをする時もろくな意見など出せず、これでもかというほど自分の無力さを見せつけてきた。それでも周りの人たちはいつも僕に優しくしてくれて、サークル活動は自分の中では結局楽しい日々になった。

 

もちろんそのうち自分が主体的に色々しないといけない時が来るわけで、不安に思いつつも、先輩たちに相談すると「いずれ自然に色々できるようになるよ」と言われてきたのでまあそんなものだろう、経験を積めば自分も変わっていくだろうと思っていた。

 

そして、その時がきた。サークルによって呼び方は違うと思うが、僕たちのところでは「幹部代」と呼ばれている。そして何の間違いか、その中の1つの部署のリーダーに僕が就任した。さあ、今こそ自分が今まで積んできた経験を活かし、メンバーの意見もたくさん盛り込みつつ新しいことに挑戦し、プライベートでも後輩と仲良くしまくり、先輩方が築いたいい流れに乗って活動を活性化させるぞ!

 

だが現実、僕が無力なことに何も変わりはなかった。コミュ障なことに変わりはないので進行役をする時はいつもぎこちなくなるし、私的な領域まで共有できるほど後輩と仲良くできてないし、意見出しもいつまで経っても他人任せだし、何かするにしても計画の甘さが目立ちすぎる。結局、僕は無力なことに変わりはなかった。圧倒的成長を期待していた僕の期待は大外れで終わろうとしている。

 

気づけば僕も20歳になったわけだが、僕の現状を15、6歳の頃の僕が知ったら腰を抜かすことだろう。得意だった英語はコミュ障のせいで台無しにし、もちろん新しい言語など習得できるはずもなく、深夜遅くに流れるラジオを生きがいにする、弱いくせに酒や煙草に溺れる一歩手前で藁を掴むような生活を送っているらしい。彼女もできたはできたが、散々な結末になった。これを知った僕は受験勉強などする気も起きず、より無気力な高校生活を送るに違いない。あと、あの女はやめとけ。

 

将来についても、僕は海外を飛び回り世界を股にかけて大活躍する商社マン的なものを想像していたが、どうやらそれも無理そうだ。僕のコミュ力ではやっていけるはずがないし、2週間以上日本を離れることにたぶん耐えることができない。今は適当な市役所で働ければそれでいいと思っている。

 

そういうわけで、今の僕は過去の自分の期待を裏切りまくり、理想からはかなりかけ離れた人間になってしまった。これはひとえに僕の無力さのせいだし、いつまでたっても無力さを克服することはできなかった。結局人間、変わることなんてできないし圧倒的成長を達成することなどまあできない。

 

とりあえず、昔の僕に伝えたいのはお前は大した人間ではない、というか明らかに平均値未満のにんげんであるということだろうか。どうせ自分は世界を変えることは出来ないし、真面目に勉強しても特にいいことはない。当時は勉強さえしていれば褒められたし、田舎育ちだったのでかなり持て囃されて過ごしてきたが、頼むから身の丈をわきまえてほしい。お前は本質的にコミュ障だし、頭も硬い。大学選びから将来の夢から何から、身の丈をわきまえたものにしてほしい。頼むから。そうすれば少しは、絶望の淵を埋め立てることができるかもしれないので。