成人

懺悔。しばらくブログをサボっておりました。呆れるほどの怠惰ゆえ、一度書くのを中断してしまうとしばらく書かなくなってしまいました。意外と僕の周りの皆さんも読んでくれていたらしく、「楽しみにしている」など言っていただけたのですが書こう書こうと思っているうちにこんな時期になってしまいました。

 

ここからはサボり期間を充電期間とポジティブに捉え直し、切り替えていこうと思います。

 

充電期間中にあった最大の出来事、それは僕の成人だ。未成年飲酒と喫煙の常習犯だった僕はついに法を犯す後ろめたさから解放され、小さい頃から普通にスポーツとして好きだった競馬にお金を賭けることもできるようになった。「10代が長いのはいい事じゃん」と言われることもあれど、早生まれという酒飲みにとっては超致命的な足枷を付けて生まれてしまった僕にとっては本当に待ちに待った成人だった。

 

成人してから飲む酒は美味い。本当は毎日、地球の津々浦々のお酒を取り寄せて成人ライフを満喫したいところなのだが、貧乏大学生の僕にはそんなことはできない。たまたまポストに入っていたカクヤスのチラシを見て、4Lの甲類焼酎とレモンシロップ700ml、そして炭酸水1箱を買ってレモンサワーを家で1人で作って嗜んでいる。レモンシロップが尽きてからはドラッグストアでりんご酢を買い、りんご酢サワーといういかにも健康志向なお酒を飲んでいる。普通に美味しい。競馬もメインレースだけ買い、程よく楽しんでいる。

 

こうして僕は待ちに待った成人ライフを謳歌しまくっているのだが、「成人」という事実は意外と僕の背中に重くはないにしろ、のしかかり始めているようだ。

 

具体的に言うと、「成人してもこんなことしている俺ダサくね?」と思うことがかなり多くなった。

 

高校から親元を離れて暮らしている僕は、親との距離感が15歳で止まっている。15歳というと思春期の真っ盛り、親に干渉されることを徹底的に嫌がる時期だ。当時の僕は離れて暮らす親と連絡を取ることがかっこ悪いことだと考えており、(お金が欲しい以外の話は)親と連絡をほぼ取らなくなっていた。高校3年間、気付けばそれが当たり前になっていて、今になっても親と連絡を取ることが何となく恥ずかしい。特に報告すべき用がない時は基本的に親と連絡は取らない。

 

だが、世間一般の20歳はどうやら親との距離感がもっと近いらしい。特に用がなくても親と電話したり、実家暮らしの人は毎日楽しく親と暮らしているらしい。にわかに信じ難い。最近まで僕は、「でも本当に話すことないから連絡とってないだけだし...」と思っていた。

 

だが成人してから、認識が大きく変わった。「20歳になっても親と連絡を撮るの恥ずかしがってる俺、めちゃくちゃダサくね...?」と。他にも色々ある。「20歳になっても部屋の片付けを面倒くさがってるのめちゃくちゃダサくね...?」「20歳になっても貯金できないで自転車操業してるのめちゃくちゃダサくね...?」「20歳になっても中学時代のジャージを部屋着にしてるのめちゃくちゃダサくね...?」あ、これはいいや。物持ちが良いのは僕の数少ない自分の好きなところの1つだ。

 

とにかく、20歳になってからこのように感じることが多くなった。これまで僕は成人することで様々な不自由から解放されるものだと思い込んでいたが、どうやらそういうわけではなさそうだ。社会的な責任、とまではいかないものの、大人としての最低限の見栄えは整えておかないといけないものだそうだ。

 

残念なことに、これから人生を逆戻りしていくこともできないので、僕の人生は不自由さを増していくばかりになることだろう。別に10代の時間を無駄にした訳ではないが、10代は無敵というのはたぶん本当なんだろうなと思う。やだなぁ。歳とりたくねぇ。